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2011年6月25日(土)
韓国の旅 * 終章


素晴らしき家族
 明日はもう、帰国の日になってしまいました。日本から持ってきた風邪薬も無くなり、薬局で薬を求め飲み続けていましたが、全然よくならない。
本日は最後のチャンスだったけど、観光、買い物へ出かける気力も無く、一人で留守番する事にしました。
 コン!コン!・・・とドアのノックの音。先日、訪問客が来た時を思いだし即座に”ヌグエヨ”(誰ですか)の言葉は出たものの〜〜〜これは大失敗!!
すぐに返事が有ったものの、相手が何を言ったのか、ちんぷんかんぷんだった。
言葉を話せると聞いて理解出来るは一対で無ければ用をたさないのです。
(でも・・・どんな人が来たのか…怖かった。せめて声からでも判断してみようと・・・)
結局、万一の場合に備え書いてもらっていた、携帯電話番号を相手に伝えて・・・解決となりました「韓国人では有りません。解りません」の言葉は通じたみたい!!
 少しの時間なら・・・・と気力が残っていたらしく・・・好奇心旺盛さは病気になっても発揮!!近くの商店街を歩いてみました。
何でも屋の様なお店では、日本とは違うようなものを探しまわり、じっくり拝見。スーパーでは珍しい野菜・果物が無いか。魚の種類はどんなものが・・・イシモチやエイが良く食べられるらしいし、お店の料理にもよく使われていた。知らない土地を歩くのは、どんな物(事)に出会えるか?本当にワクワクでした。
(友達、帰宅後その話をすると、迷子に成ったらどうするの・・・と心配したけど、ちゃんと地理を目標を覚えての行動だし、万一迷子になっても、どうにでもなりますってば〜〜〜まだ、ボケてません「ケンチャナヨ」大丈夫です)
 今回で韓国旅行記は最終です。この旅行で一番感動した事は 『家族愛』
友達の家族の話です。実際に同居、体験してこれほど家族への思いやりに満ち溢れた家族を私は知りませし、聞いた事も有りません。
韓国では母親の言葉は重いし、母を思う子供達の思いも並大抵ではない。友達の家だけが、韓国がそうだとは思いませんが、私の家庭は到底太刀打ち出来ない(それを感じた時、私の心は冷たく成っていました)
その代り、道に外れた、皆の意に反する事でもした場合は、一斉攻撃にあい袋叩き状態とか・・・深すぎる愛情・・・でもこれも「愛有ればこそ」で・・・大変結構!!
(50年前の子供の頃の我が家は、どうだったでのしょう?ふと、頭をよぎりました)
 何時までも心に残る心優しき家族たちとの一週間でした。
最高の家庭にお世話になる事が出来ました。
流石に友達(歌手)のお兄さんの歌は上手く、、また次女のご主人の感情のこもった歌の上手さも格別で、カラオケで、簡単に100点を出す美声の家族でもありました。
 お母さん!!80歳を迎えられるとか・・・来年春「お祝いをするので」・・・とお兄さんよりご招待の言葉を頂きました。
私より遥かに元気なお母さんです。お母さんより若いけど体力にはまったく自信が無い私。残りの人生を気持ちよく進むためにも、体力増強に努力をしようと思っています。
  
     友達のご家族へ  カムサハムニダ !! 幸せを祈ってます !!
         合言葉は  「ト マンナヨ」(また、会いましょう)
2011年6月24日(金)
韓国の旅 * B
 友達の姪御さんの情報のお蔭で、換金率の良い所を教えてもらい、1.000円を13.460ウオンへ換金。750円位が、10.000ウオンに成ります。ゼロの多さを日本円と勘違いするかのように・・・非常に損をした気分に、高価な商品を購入しているような感じに陥って、支払う時、躊躇する不思議な気分でした(之を貧乏性と言う?)
 今日で5日目、冷麺・焼き肉・アワビ入り参鶏湯等ご馳走になりましたが、私が一番美味しいと思った食事は、[カムジャータン]野菜類と特大の骨付き豚がゴロゴロ入っている。大きな鍋に入ったカムジャータンの豚の肉は、骨よりほろほろと外れ、噛まないでも旨味を味わえるほど柔らかかった。う〜〜〜っ、スープが五臓六腑に染み渡る〜〜〜。。それにあまり辛くないし、硬めのすいとんを千切って入れるのも面白かった。
もう、お腹いっぱいになり、皆さんの食欲ぶりを眺めていると、次女のお姉さん「良く食べる豚と思っているんでしょう」・・・と友達の通訳の言葉に、思わずうなずいてしまい大爆笑!!お金のことを「トン」と言います(トン チュセヨ お金下さい…となります)
一番ウイットに富み、気が利き、服装選びのセンスも抜群のお姉さんでした。
 夕食の後、温泉マークの付いたサウナへ友達と友達の母、姉2人の5人の小団体で出かけました。今回の旅行でサウナは2度目ですが、前とは違うお店です。入場料は1階だけの風呂は3.000ウオン。2階のサウナ付きで7.000ウオン。受付で、ロッカーの鍵・タオル2枚とユニホーム(半袖の上着・七分パンツ)を貰い、ロッカー番号の場所で、それなりの格好になり、まず、1階のお風呂場へ・・・ジャグジーバス・三種類の熱いバス。冷たい18度のバス(何故かバスの中に波型で、5m位の長さの雲梯が有った)そして超冷たい6度のバス。
サウナは3種類の温度差の部屋が有り、一番低い温度の方にはシャワーが出ていて、苦手な私でも少しの時間は苦にならなかった。
 ここで旅行中一、二番に印象に残った事をしてもらいました。
お姉さんが、二人分の予約を入れておいてくれたので、お風呂の後、同じコーナーに有るベッドの上に・・・。
【全身垢すり&マッサージ&顔のパック(3種)&全身オイルマッサージ】一時間コースです。料金は40.000ウオン(日本円で¥.3000)初めての経験だけど・・・安〜〜〜!!
最最高に気持ち良くて、恥ずかしくて、非常に美しくなった気分にさせられました。
40代くらいの女性の方が担当で、60kg位?の体重で太ももも足踏みするので、骨が折れないかと心配ではらはらしてました・・・今もまだちゃんと歩けています。
「横になって」「うつ伏せになって」・・・って韓国語で言われてもねぇ〜〜〜。
隣で同じようにマッサージを受けていた友達が2回は通訳してくれたけど、あとは声が聞こえない。気持ち良くて寝ていたのかも???間違いながらも適当に動けば何とかなりました。終了の声を聴いた時は、楊貴妃の気分でそのまま眠りたかった〜〜〜。
シャワーを浴び、ユニホームに着替え2階のお姉さん達がいるサウナの方へ移動。
氷の部屋・炭の部屋・松の葉の部屋・温度差の部屋が4〜5種類。
大広間にマットを敷して休み、サウナに入ったり出たりの繰り返し。お腹がすいたら食品カウンターで、揚げたチキンやかき氷、多種のジュースを注文。馴れたお姉さんたちの指示に従って飲んだり、食べたり(もしかして太れるかも!!)眠くなったら、睡眠の為の3種類の好みの温度の部屋が有り、好きな時間まで寝る事が出来る。
天国とまでは言わないけど、充分癒され、リラックス出来る場所でした。
韓国に住んでいたら、1週間に一度は通えるのに!!
 朝になり、次女のお姉さんのご主人の迎えの車で、お兄さんの家に帰宅。
韓国到着、3日目に行ったサウナで、自分の体質解っていたにも関わらず不注意で・・・汗をかいたままにしておいたのが原因だったと思います。女達5人で買い物へ繰り出し、初めて乗る電車(65歳以上は無料)友達のお母さんとパス無で通り抜け、楽しんでいた途中、気分が悪くなり、皆さんには買い物に行ってもらい、一人喫茶店で休んでいました(店内の落書き添付)この日は家に帰るなりベットの上。
夕食は近くの食堂へ7〜8人の団体で出掛ける。
大盛りのお皿には炒めたあんかけ風野菜の上にタコが、デンと載って、やはり鋏が大活躍。調子が悪く食欲は無いものの、皆さんの食欲ぶりに、場の楽しさに充分満腹感を覚えた時間でした。
責任なく、遊び呆けることは・・・極楽・極楽!!
もしかしてここは天国? それにしては頭痛がするけど・・・!!
2011年6月23日(木)
韓国の旅 * A
 韓国で初めての朝です。
わ〜〜わ〜〜やはり朝から赤・赤・赤、キムチ数種類が並んでる。
お母さんとお兄さんの手早い支度で、朝食を頂く。どの様に処理されているのか?イシモチをフライパンでカリリと焼いた魚が非常に美味しかった。
レシピを聞かなくちゃ!!
 買い物三昧の日で、日本人しか入れないような怪しげな店・アメリカの基地の近くにあるL〜特大サイズ〜通り・道の両側、真ん中に所狭しと並べられている商品の数々の市場・・・安い!!安い!!オシャレ〜〜〜!!あちこち見るだけでも目が回りそうだった。おまけに30度近くの日差しの中、でも意外と湿気が少ないのと興味が勝り、姉・子供達・孫の顔を浮かべながら、必死にあれこれあさってしまっていた。
韓国に来て、日常的な事で日本と比べて驚きまくったのは
*水洗にも関わらず、紙を便器に流すのは禁止でした。
 最初トイレに入った時、一日目(景福宮だったと思います)便器の横にゴミ箱が有り、使用された紙が入っている。 ???と思いながらも深く考えもせず、紙は日本式に便器に流してしまった。彼女のお兄さんの家でも然り・・・流石に心配になり彼女に聞いてみると・・・失敗の巻でした。どの場所でも流すのは禁止になっているそうです。
*車の個人の駐車場、日本の様に証明書を必要としない・・・と言う生易しいもので無く、個人の家でも駐車場の場所は見当たらなかったし、10〜20世帯のマンションの1階に4〜5台分位しかない。早いもの勝ち?
高級住宅地・高級マンションはどの様なのか解りませんが・・・殆ど道路両側(狭い場所は片方)にびっしりと止まっていた。道路で無い奥行きの幅、車1.5台分位の場所で、一番奥の車を移動しようものなら大変!!3〜4台並んでいる車を移動する事になる。
それも通行中の車を気にしながらで〜〜〜も〜う、考えられない。・パス・パス!!
この解決法として、車のフロントガラスには絶対、持ち主の電話番号が記されてある。
納得…だったけど、個人情報はどうなの?
 また、信号のある横断歩道を平然と無視して渡る人、何回も見たし、運転で余程テクニックが無ければ・・と思うほどの割り込みの連続。韓国での運転は絶対したくない、出来ないと思いました。やはり交通事故も多い様です。
私の様な者にピッタリの言葉を聞きました。
 女性が、もたもた運転していたら、わざわざ窓を開けた男性は”女は家で飯(めし)でも炊いてろ”・・と怒鳴ったとか。 成程〜〜〜〜〜。
 画像の様な、魚市場。全部見なくとも草臥れるほど広〜い。同じような種類の海鮮店で、勿論、どこもかしこも生簀を扱っている。お客が、好きな魚をチョイスし、それを刺身にしてもらい、或いは干物用に捌いて塩をしてもらう。その間、お店の奥にある長椅子に座って待っていた。生きて跳ねている3kgのヒラメを刺身にしてもらい、持ち帰って、夕食は長女の方の家でお世話になりました。
総勢10人!!流石卓の上にはキムチもばっちり、赤く輝いていた。春雨の炒め物もこしが有り良い味していた。キムチもそれぞれの家の持ち味があって面白い。
刺身の食べ方?ビックリして、声を上げそうになった(アワワ)
サニーレタスに刺身を乗せ、キムチのタレのようなものを付け、らっきょうを乗せ、レタス葉を巻いて、美味しそうに食べてる友達のお兄さん〜〜〜。一瞬ギョッとなったけど、卓にはワサビもちゃんと有ったし、自分が一番美味しく感じる食べ方、これに勝ることは無いのだな〜〜〜との考えに至りました。
 7時半を過ぎても日は沈まない・・・・・韓国の長い夜の始まり〜〜〜。
2011年6月21日(火)
韓国の旅 * @
 友達からの招待で実現した韓国旅行・・・始まりです。!!
2ケ月前からの飛行機予約・・・この待ち侘びる期間は何とも言えないものですね。
心が騒ぐ、血が騒ぐ・・・それをジーッと噛みしめる喜びの日々でした。
 6月11日朝、我が家を7時に出る。飛行機は10:30定刻出発。機内食が出て朝食に有りつけ、ビールも出た〜〜上々の出だし!!2時間で目的地に到着。
 まず、友達の家族勢8人の出迎えを受け・・・・唖然〜〜〜ピーチク・パーチク理解できない言葉の中、共通なのは笑顔!!作り笑いで無く心からの笑い顔にホッ!!
飛行場から車での移動中、景色を見ていると、ハングル文字さえ見えなければ、日本との違いは無い様に感じられ、知らない日本を走っているかの様だった。

この日一番の思い出は景福宮(キョンブックン)観光。
高官等の訪問?が催されていたのか、沢山のテントが張られ要所要所に監視人が見られた(・・・と言っても普段を全然知らない者の想像では余りにも空々しい言葉に聞こえそう〜〜〜)その為かは解りませんが、普段は入場料が掛るのに・・・無料!!
どの位の確率での幸運だったのでしょうか。
団体の子供達・家族連れ・諸々の人達で、それはそれは賑わっておりました。

 どんなに美しくとも一見に勝る物無しです。わずかな画像ですが、ご覧ください。私は見る方に呆けて、撮る事は疎かになってしまいました。日本のテレビでもお馴染みの「チャングムの誓い」を彷彿させたのは言うまでもありません。
 夕食は韓国の一般的焼き肉店での食事。大きい豚の塊を、豪快に炭火でジュージュー焼き、大きい鋏でチョキチョキ切り分ける。豚肉の味が非常に濃く感じられて美味しかった事!!鋏の用途は豚肉だけかと思いきや、意外や・・・大きく長いキムチ・冷麺を切るのも目にした(多分ほかにも使われているに違いない)25cm位の長さのものが家庭にも常備されていた。何種類かのキムチが出ていたけど、これが本場のキムチか〜〜〜と味わいながらも、美味しいけど、やっぱり咳が出そうなほど喉を刺激。
第一日目から「メ ウォ ヨ」(辛い)のはじまりと相成りました。
2011年6月11日(土)
久し振りの空の旅
 本日より1週間、近場の外国へ遊びに行ってきま〜〜〜す。
盛り沢山の珍道中話を、更新出来る事でしょう。
                
乞う!!ご期待
2011年6月5日(日)
上 出 来 の 収 穫 !!
 買い物の帰り、一寸畑を覗いてみたら、隣の方の玉葱が既に干されていた。
梅雨の季節、天気の日はそう望めない・・・と思うとなんとなく焦る気持ちになり、手はもう、玉葱を引っこ抜き始めていた。
両手を使わない為(左手がまだ無理なので)右手だけで引っ張ったら、葉(茎?)が5〜6個千切れてしまい失敗。
こんな事さえも疎かには出来ないけど、今回は仕方ないです〜〜〜!!
葉の部分の水分が少し飛んだら、括り付けてベランダに干します。
余り手入れもしなかった割には、ゴロゴロと大きく育ちました。一番大きいのは、直径14cmも有りました。レッドアーリーは昨年の方がもっと大きかったみたい・・・。
昨年の無残な出来とは大違いのニンニク、ちゃんとした塊を見た時「良かった・・・」と安堵のため息。大きいのは直径8cm有り、50個位収穫出来ました。 ホホホ・・・
収穫の楽しみもあと1回限り・・・後は、6月末を予定しているジャガイモのみとなりました。自家製の満足度は100%な〜〜〜り。
感謝感謝で、しみじみとじっくり味あう事に致しましょう。
 普段履きの靴を泥だらけにしながら、30分余り・・・予定外の行動をしてしまい、びっしり汗をかいて帰ってきました。
 買い物の荷物は多くて・・・トイレットペパーとテッシュペパーを、左手で持っても大丈夫?・・でした。ここまでの回復に20日近くかかった事になります。
まだ腫れは残っているし、手を拳骨に握りしめた時、痛みが有ります。まだまだ、完治までには時間がかかりそう〜〜〜!!その日は来るのでしょうか!?
2011年6月1日(水)
倒けた五月 【 夢を繋いで・・・六月 】
 あんなに楽しみにしていた「五月になれば」でしたが・・・・・。
70年近く自分してますが、全く、自心さえ計り知る事が出来無い日々。

その挙句、17日には、滑って左手首捻挫、30分もしないで手と肘下が・・・痩せた手の骨が、全然見えなくなるほど丸々と膨らんでしまいました。
手を動かさないと痛みが無く、骨折はしていないと自己診察。湿布漬けの毎日を送っています(まだ、進行形)

 今回は手が3本有ったらと・・・切望しました。
何をするにも補助が必要で、右手だけでは用を足さない!!
幸な事に今迄、そのような思いをしたことが無くて・・・この年になり、やっとその大変さが理解出来た次第です。

 左手を使えないことで、身体のすべての機能もおかしくなり、肩痛・腰痛・頭痛等々が、一挙に押し寄せ〜余りの苦痛に、普段行く事の無いマッサージにも駆け込んでしまいました。寝返りする時、左手の痛さに幾度目が覚めた事か!!
 何と最悪の初体験の5月に成ってしまいましたが、2週間を経過し手の甲全体(指の先まで)の濃紫・深緑の斑模様が黄色に移り変わりつつあります。
押すとまだ痛いけど、茶碗位は持てるようになりました。
左手を庇う生活に馴れましたけど「右手さ〜ん」普段から酷使してばかりで・・・。
ごめんね!!
左手が完治したら休ませなくては・・と、自分に言い聞かせていますよ。
この捻挫は、だらけた心に入り込んだ、人災(自己災?)では〜〜〜なのかも。
      反省ーーーーーーーーーーのーーーーーーーーーーー毎日
         
 六月は我を知り(ホントに?)思い切り楽しむ事にしましょう(なんか違うような?)
喜びに満ち溢れた更新が、沢山出来ますよう〜〜〜に!!
       六月さん・・・い・ら・っ・し・ゃ・い 

  ≪T・Sさん わざわざ沢山の湿布を届けて頂きました・・・深謝!!≫ 
    
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